大日如來簡介
「大日如來」是密宗的最高本尊,梵名摩訶毗盧遮那,「摩訶」是「大」的意思,「毗廬遮那」為「日」的別名,故譯為「大日」,有遍照之義,表本來法爾,遍滿一切處。
大日是照遍宇宙一切萬物的大日輪,凡是在世間的一切生物,不單是人間,甚至于極微小的禽蟲草木,也均蒙受到大日的恩惠。誰能夠不享受大日輪之光明,而能安住于大法界呢?所以說「大日如來」為哺育一切世間萬物之慈母,亦即佛之主尊的理由。
「大日如來」之名號來自於中國唐朝「善無畏三藏」,〈西元637至735年間〉所譯之漢文佛經譯本《大日經》記載。
大乘佛教經典之《大方廣佛華嚴經》裡的「大日如來」,稱為「毗廬遮那佛」。「大日如來」又因如太陽光明遍照之意,因此又名稱「遍照如來」、「光明遍照金剛」,此即顯揚遍照宇宙一切萬物,而無絲毫阻礙的法體。
「大日如來」是釋迦牟尼佛之法身,集一切眾生及諸佛如來的心性於一身。也是一切萬物的法體,所以又有「清淨法身佛」的稱號。
〈大日經疏〉曰:「梵音毗廬遮那者,是日(太陽)之別名。即除暗遍明之義也。然世間日則有方分。若照其外不能及內。明在一邊不至一邊。又唯在白晝光不照夜。如來智慧日光則不如是。遍一切處作大照明矣。無有內外、方所、晝夜之別。(中略)世間之日不可為喻,但取稍微相似。故加以大名曰摩訶毗廬遮那也。」
「大日如來」對內照被真如法界,對外照被一切眾生而無障礙,具有眾德圓滿,常住不變,身心融通,集一切眾生及諸佛如來之心性。更於眾生心中,能存本來法爾,遍滿一切處,因此稱為光明遍照。
「大日如來」為密宗主要教典〈大日經〉與〈金剛頂經〉的教主,「大日如來」即五方佛之首,攝持萬法,故手結轉法輪印,以獅子座安住者,表如來為諸法之王,於諸法中變化無礙,猶如獅子為獸中之王,於諸獸中遊行無畏故。且為各部密續曼荼羅中佛部的主尊,故非常被重視。其形像有法身與報身不同的顯示,報身時具各種瓔珞等受用飾。
又依〈大日如來儀軌〉所說,此尊可演化至兩百多尊,內攝諸佛與佛母、菩薩與女菩薩、明王與明妃、聲聞、緣覺、護法守母、諸天、星宿、空行、世間神祇等,為度亡儀軌本尊。
「大日如來」住中央密嚴淨土,身白色,表水大之淨相,乃屬佛部之主尊,能轉色蘊入第九識(阿摩羅識)成法界體性智,除去下劣、愚癡,能調伏一切痴性眾生,而証得「大日如來」法性身。
密教奉「大日如來」為真言密教之教主,並以之為金剛界與胎藏界曼荼羅的中心本尊。
「大日如來」在金剛界與胎藏界曼荼羅之意義分別為:胎藏界「大日如來」代表“理”,是「大日如來」的“理法身”,而金剛界之「大日如來」則代表“智”,因此為“智法身”。
胎藏界意指如來大悲的理世界,表示成佛的根源,宛如成佛的母胎,是為“因”位;而金剛界就精神的意義而言,就是摧毀眾生的煩惱,並且把降伏煩惱的智慧喻為金剛不壞,代表著如來智慧的世界,是為“果”位。
「大日如來」之真言又稱〈大日灌頂真言〉或〈光明真言〉,若能時常誦持此真言者,將得智慧而破除無明煩惱。
大日如来
密教の仏といえばその根本は大日如来で、その他の仏様は大日如来の徳の現れとされています。ですから密教の仏様を紹介するに際して、最初に大日如来について述べさせていただきます。大日如来には「金剛界大日」と「胎蔵大日」とがありますが、これは別々の仏様ではなく、この世界を智と理の二つに分けて考え、それぞれの中尊として表現されたものです。そして「智」の世界の大日如来について説かれた教典が「金剛頂経」、「理」についてのそれが「大日経」です。さらにこれを図示したものが、金剛胎蔵両部曼荼羅です。
密教では、大日如来は宇宙の真理を表すとされ、また宇宙そのものとされます。大日如来は宇宙そのものを神格化したものであり、一切のものは大日如来から出生するとされる。つまり、一切のものは大日如来に胎蔵されるのであり(胎蔵界)、また一切のものは大日如来のなにものにもおかされない堅固な智の顕現でもある(金剛界)とも考えられる。
さて大日如来は宇宙を神格化したものと述べましたが、そうすると私たちを含め全てのものは大日如来によって生じ、大日如来に含まれるということになります。ですから全てのものが大日如来であり、私たち凡人でも即身成仏ができるのです。
次に大日如来の姿についてですが、殆どは金剛界及び胎蔵大日ですがほかにも四面大日というものもあります。普通如来と呼ばれる仏様のお姿は袈裟をまとわれたお姿で、飾りは身につけられていないが、大日如来は菩薩のように装飾的なお姿で表されます。これは王者を象徴するためであるとされます。では以下に概観のみですが述べますと、
1、金剛界大日
頭に五智の宝冠をかぶり、手は智拳印を結んで座っておられます。
2、胎蔵大日
座禅のお姿で、手は法界定印を結んでおられます。
3、四面大日
日本ではきわめて稀ですが、如来内証の四智を顕しているとされます。
その他にも胎蔵大日の中に釈迦座像のような如来型の大日如来があるそうです。
以上、大日如来について概略述べましたが、密教の根本仏である大日如来ですが密教系寺院の本尊として祀られている数は少ないようです。しかし、全ての仏様は大日如来の徳の現れですので、どの仏様を拝まれても全て大日如来に帰することになります。
(平等寺住職記)
■大日如来■
大日如来(だいにちにょらい)は宇宙の中心仏であり、宇宙そのものといってもよいような存在です。胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)・金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)の中心におかれ、そこから全ての仏が生まれていきます。実態としては毘盧遮那(ビルシャナ)如来と同じですが、見方が異なります。これは自民党総裁と日本国首相が同一人物であっても意味合いが異なるのと似ています。
曼荼羅(まんだら)というのは、一定の調和性をもって構成された図式または配置(インスタレーション)のことをいいます。そういう意味では大部分の絵画は曼荼羅であり、美術館などはその存在そのものが曼荼羅です。古くからの神社やお寺も伽藍や神殿の配置は曼荼羅の様を成しています。
ユングは自らがフロイトと決別した後の精神的混乱から回復する過程で沢山の象徴的な図形を描き、後にそれが東洋の曼荼羅と似ていることに気付いてその研究をしたことで知られています。彼の研究した曼荼羅はアラビアの幾何学模様などとも似ています。
一般に曼荼羅として最も有名なものは、東寺(京都市)に伝わる胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅の「両部曼荼羅」です。このふたつの曼荼羅は初期の密教と中期の密教を代表する象徴で、これを並べてみたのは東寺を開いた弘法大師・空海あるいはそのお師匠さんの慧果ではないかともいわれています。以前は私は様々な仏の原始的な力があふれている胎蔵曼荼羅の方が好きだと発言したので
すが、あの当時から15年の月日がたってみると、金剛界曼荼羅の良さも少しは分かってきたような気もします。
■胎蔵曼荼羅の大日如来
胎蔵曼荼羅の中でも中央に陣取っている「中台八葉院」の中心に大日如来が描かれています。そのまわりには四如来と四菩薩が配置されています。
東(上・発心) 宝幢(ほうどう)如来
南(右・修行) 開敷華王(かいふけおう)如来
西(下・菩提) 無量寿(むりょうじゅ)如来
北(左・涅槃) 天鼓雷音(てんくらいおん)如来
南東(右上・浄菩提心) 普賢(ふげん)菩薩
南西(右下・智慧) 文殊(もんじゅ)菩薩
北西(左下・菩提) 観自在(かんじざい)菩薩
北東(左上・涅槃) 弥勒(みろく)菩薩
また四隅には宝瓶(ほうびょう)が置かれています。
胎蔵曼荼羅の大日如来の真言はナウマク・サマンダ・ボダナン・アビラウンケン で、種子はアークです。
不空によれば、アビラウンケンの5文字自体が、五大を表すとされています。 ア=地、ビ=水、ラ=火、ウン=風、ケン=空です。また種子のアークには 発心(ア)、修行(アー)、菩提(アン)、涅槃(アク)という4つの文字が隠れています。
「アビラウンケン」は昔の忍者映画では忍者の唱える呪文の代表的なもののひとつでした。最近の漫画やドラマに出てくる呪文は、こういう「マジ」で、本当に効いてしまうかも知れない呪文を避けて、意味不明のことばを発明する傾向が強いように思われます。なおアビラウンケンは「アブラカタビラ」 と同根という説もあります。大日如来自体がアフラマズダと同根という説もあるので、あながち荒唐無稽ではないかも知れません。
なお四如来の真言は下記の通りです。
宝幢 ナウマク・サマンダ・ボダナン・ランラク
開敷華王 ナウマク・サマンダ・ボダナン・バンバク
無量寿 ナウマク・サマンダ・ボダナン・サンサク
天鼓雷音 ナウマク・サマンダ・ボダナン・カンカク
胎蔵曼荼羅に描かれる大日如来は、腕釧(わんせん-腕飾り)、臂釧(ひせん -足飾り)、瓔珞(ようらく-珠飾り)などを付け、宝冠までかぶっています。
こういう華やかな姿を取るのは一般に菩薩像に多く、如来像はふつう質素な 衲衣(のうえ)だけを着ているのですが、全ての如来の源である大日如来だけは例外的にこういう王者の姿をしています。
大日如来がこういう姿をするのは、別格のしるしであり、時々これを理解していない論者が「こんな姿をするのは大日如来は実は菩薩だからだ」などと主張したりするのは、まさに不勉強の極みでしょう。逆に菩薩の中でも地蔵菩薩は例外的に質素な姿をしていることが多いです。
■金剛界曼荼羅の大日如来
金剛界曼荼羅の中央部には成身会があり、そこの中央にやはり大日如来が描かれています。こちらの大日如来も華やかな姿をしています。胎蔵曼荼羅との最も大きな違いは結んでいる印で、胎蔵曼荼羅では禅定印だったのが、金剛界曼荼羅では智拳印になっています。金剛界のほうが精神性が高いというわれるひとつの象徴にもなっています。
金剛界曼荼羅の大日如来の真言はオン・バザラ・ダド・バン。種子はバンです。これはギリシャ神話の古い神「パン」にも通じ、宇宙のビッグバンが発生した音の象徴でもあります。卒塔婆の裏面にこの種子が書かれることもありますがこの文字から大日如来が生まれ、大悲水となって全ての煩悩を洗い流してくれることを祈るものです。
成身会の大日如来のまわりにも四如来が見られます。
東(下)阿閦(あしゅく)如来
南(左)宝生(ほうしょう)如来
西(上)阿弥陀(あみだ)如来
北(右)不空成就(ふくうじょうじゅ)如来
真言は下記の通りです。
阿シュク オン・アキショウ・ビヤ・ウン
宝生 オン・アラ・タンナウ・サンババ・タラク
阿弥陀 オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン
不空成就 オン・アボキャ・シッデイ・アク
金剛界曼荼羅の成身会の構成はひじょうに複雑で、ここで書き出すと長くなりますので、またの機会に述べたいと思います。
光明真言
おん あぼきゃ べいろしゃ のう まかぼだら まに
はんどま じんばら はら ばりたや うん
真言宗三尊
一般日式家庭若是東密宗派,即會在佛壇供養最主要的三尊,即大日如來(佛)、弘法大師(高僧祖師)、不動明王(護法本尊)。
大日如來簡介
毗盧遮那佛,梵文Vairocana,略譯「盧舍那」、「遮那」。
摩訶毗盧遮那,梵文Mahavairocana,根本意譯:「大日如來」。
意譯:「光明遍照」、「遍一切處」、「大日」。
又作毘盧遮那佛、最高顯廣眼藏、遍照王如來、光明遍照、大日遍照、遍一切處、遍照尊。
其名有三義,即:
(一)除暗遍明義,謂如來智慧日光遍一切處,作大照明,無有內外、晝夜之別。
(二)眾務成辦義,謂如來日光遍照法界,能平等開發無量眾生之善根,乃至成就世、出世間種種殊勝事業。
(三)光無生滅義,謂佛心之日雖為無明所覆障,而無所減;究竟如法實相三昧圓明,而無所增。
以如此諸種原因,故世間之日不可為喻,但取其少分相似處,故加以「大」字。
大日如來係密宗將宇宙實相佛格化之根本佛,亦為一切諸佛菩薩所出之本原及所歸之果體;其身口意業遍虛空,演說如來之三密門金剛一乘甚深教。大日經疏卷一謂,大日如來分本地法身與加持受用身兩種,其中,本地法身指如來之自證極位,加持受用身指說法之教主;彼以平等之身口意祕密加持為所入之門(即以身平等之密印、語平等之真言、心平等之妙觀為方便),故知加持受用之身即是毘盧遮那遍一切身,此二身畢竟無二無別。故密宗以大日如來為最高之佛格與根本總德。以其與諸法遍在,故密號遍照金剛。
又因大日如來為金、胎兩部曼荼羅之主尊,故非常被重視,其智德以金剛界大日如來表示之,其理德則以胎藏界大日如來表示;理、智雖然二分,實際亦不相離。
金剛界大日為金剛界九會中,除理趣會以外之中尊,位於五佛中央,現菩薩形,身呈白色,戴五智如來寶冠,結智拳印,結跏趺坐於七獅子座,(如上圖)此即智法身,三昧耶形為率都婆。
胎藏界大日則為位於中臺八葉院中央之理法身,亦現菩薩形,身呈黃金色,頭戴五佛寶冠,結法界定印,坐於八葉蓮華臺上,(如左圖)三昧耶形為率都婆或如來頂印。
最為人知名的相關真言即為《不空羂索毘盧遮那佛大灌頂光真言》又名光明真言。
經云:「若有眾生,隨處得聞此大灌頂光真言,二三七遍經耳根者,即得除滅一切罪障。若諸眾生具造十惡五逆四重諸罪,猶如微塵滿斯世界,身壞命終墮諸惡道,以是真言加持土沙一百八遍,散亡者尸骸上或散墓上,彼所亡者,若地獄中、若餓鬼中、若修羅中、若傍生中,以毘盧遮那如來真實本願大灌頂光真言神通威力加持沙土之力,應時即得光明及身除諸罪報捨所苦身,往於西方極樂國土,蓮華化生。」
梵字の書き方/金剛界大日如来
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